女は男の部屋を掃除しなければいけないのか問題
同じ話題を偶然、3回別人から聞いた。すべて男性の口からだ。
・彼氏の部屋が汚くて、彼女が嫌がっている。
・男の先輩の部屋がおぞましいほど汚い。
そう話す彼らは決まってこう言う。
「早く彼女作って掃除してもらいなよって言いたいんですけどね~(まあ、言えないですよねえ)」
「言ったんだよね。彼氏の部屋を君が掃除してあげればええやん、それですむやんって」
聞くたびに思ったのだけれど、なんでナチュラルに女に掃除させる設定になっているのだろう…。男女関係なく、本人に掃除させれよ。
無意識のバイアスって怖いなあ。
まんがめし
漫画や映画に出てくるご飯を再現するレシピにはまっている。
といっても大したものはつくっておらず、一般的な家庭料理の範疇におさまるものが多い。トマトパスタとかチャーハンとかハンバーグとか。本当はアニメ映画や文学作品の再現レシピなど、トリッキーなものにも手を出したい。まさにインスタ映えしそうなやつとかね。
思えば料理漫画は多い。くらくらするほどだ。さすが一大人気ジャンル。小説に料理シーンが入ると必ず読者のコメントで言及されるという平野啓一郎のインタビューには笑った。
まともに再現しはじめようとするといくらでも選択肢は存在するし、自由に選べるので時間が足りなくなる。
芋づる状にレシピ本や料理研究家、ブロガーの創作料理にも目が行くようになった。
おかげで食べ物や食感にも、洋服のようにはやりすたりがあることを知った。外食なら今年はダッカルビかな。料理というジャンルの幅広さ、底の深さには目まいがする。
うかつに料理初心者ごときが手を出してはいけなかったのかもしれない…。
音楽を生活に取り入れることは大事
悩むことに没頭しすぎてしまい、精神的に沈没してしまうことがままある。そのこと自体にも悩んでいたが、対処法を1つ見つけた。
音楽だ。それもできれば洋楽。
一人の時、もしくは何か失敗するなど事態が悪くなった場面で脳の負のループはスタートしがち。
その時、音楽を意識的に取り入れて、歌詞を口ずさんでみると、脳に負荷がかかって余計なことを考えるエネルギーがそちらに引っ張られていく。気がする。
ので、意識的に聞く音楽の幅を広げていきたいと思う。
手始めにエド・シーランに手をつけてみた。
あれだけヒットしたのにノータッチだった彼の2017年作、shape of youから少しずつ聞く曲数を増やしている。何枚もアルバムがすでに出ているようで楽しみだ。知らない間に音楽界隈でEDM、強くなってるみたいだし。気が付けば椎名林檎や宇多田ヒカルもカバーや何やとアルバムを出している。嬉しいなあ。
人は年を取る程カルチャーに乗り遅れていくことが多いけれど、どのジャンルでモロにそれが表れやすいか考えてみると、ずば抜けて音楽ではないかというのはマイ仮説。
一生を何で数えるかという話
マイケルジャクソンが逝った後、ビヨンセがHPに載せた文言はこうだ。
「人生とは、何回呼吸をするかではなく、何度息をのむほどの瞬間があるかどうかだと思うの。彼のアートを見て、感じて、聴いた人はみんな、この時代に生きていること、マイケルのマジックを経験することができたことを、光栄に思うでしょう。愛しているわ、マイケル」(wiki引用だから不安)
また、熱狂的なファンをつけて映画化・世界ツアーにまで発展したオフブロードウェイ「RENT(レント)」の挿入歌はこう歌う。
52万5600分
52万5000の大切な瞬間たち
52万5600分を1年を、どうやって測ればいいだろう
夜明けの数で、日の沈んだ数で、過ごした夜中の数で、飲んだコーヒーの数で
インチで、マイルで、笑顔の数で、争いの数で
52万5600分を
人生の中の1年を、どうやって測ればいいだろう
(中略)
学んだ真実の数で、流した涙の数で
経験した別れの数で、彼女の死にゆく様で
愛を忘れずにいよう
愛で測ろう
季節を愛で彩るんだ
愛の数、息を呑む感動の瞬間。私達は大切な思い出になりうる何かを体験しては忘れてゆく。
コレクターがスクラップブックに貼り付けてゆくように、素晴らしいことを記憶にとどめておければどんなに良いだろう?嫌なこと、わずらわしいことばかり頭の中で大切にとっておいて、人生のチャプターに区切りをつけてゆくことはしたくない。
タイトルがまずすぎるという話
ブログを開設した瞬間、弟のストップが入った。
「タイトルといい、あまりにも恐ろしすぎる」
そんなに新興宗教の信者感が出ていたのだろうか。
しばらくこのままでいってみて、やっぱり全く笑える冗談になっていないなと思えてきたらその時は、タイトルを変えようと思う。
タイトルにけちをつけている場合じゃない。日記だ。
私にとってこのブログは文章作成能力のリハビリを行う訓練場だ。無為無策にいってみようと思う。
記事どころか日記どころかツイッターすらまともにしやしない、打つのはフリック入力の内輪LINEだけ、という怠惰かつ充実した日々を過ごすことによって、何かの能力が劣化した気がする。人に物を伝える能力のように、文章能力も日々続けてゆけば向上するしサボれば出来が悪くなる、そんなようなものなのかもしれない。だからいきなり何か思いついた人間はこんな風に、ブログを開設してこんなタイトルを付けてしまう失態を犯してしまうのかもしれない。すべったギャグがずっと掲載してるようで恥ずかしい。